びっくりした

生きてたんだ、このブログ。
ここからnoteに移って、noteはいいけど、読まれすぎて嫌だなみたいに思うこともある。Twitterもそうで。最近、人いっぱいいすぎじゃね?みたいになる。

書き方だいぶ変わったのか。この辺はnoteに似てるのかな。でも「続きを読む」のはてな技法とかは変わってないんだね。うける。

このblogを見てる人はいないんだろうなーと思うとホッとしてしまう。

映画は見ているけど、映画感想を取り巻く状況はだいぶ変わったような気がする。

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香りに関する読書リスト

めっちゃいっぱいあったのでまとめてみました。
★がついてるのがお気に入り、オススメ的な。
Kindle版があるやつは基本Kindleで買っているので、併記してあります。
ただハクレン小説で調香師パロが書きたかっただけなのに、どうしてこんなことに。

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「私」の観た映画、を言葉にすること(『女神の見えざる手』と『ペンタゴン・ペーパーズ』)

最近ちょっとだけ気になること。
ツイッターなどで、映画の感想をつぶやくとき、「この作品は“フェミニズム(でも何でも、とにかく何らかのムーヴメント)”というよりは」的な言い回しをした途端、「それは違う」「そうやってすぐ○○(ムーヴメント名)を否定する」という批判に晒される人が増えたように思う。


まあ言いたいことは理解できる。のだが、それはそれとして、私にも個人が自分のために血を吐くような思いで歩んだ闘争の軌跡を、大きなムーヴメントに容易く回収してしまうのは、どうも違うように思えるときがある。
確かに俯瞰すれば大きな流れのひとつではあるのだろう。それは否定しない。
けれど、個人的な問題として、作品が「私にとっては」より切実で、運動の思想から零れ落ちるモノを含んでいたりする場合もある。
そういう時はやはり「○○というよりは」というフレーズになるし、その表明は何ら悪いことでも、批判されることでもないんじゃなかろうか。
すごく普通のことを言っているんだけなんだけど、本当に最近良くそうやって責められている人を見るので、どうにも解せないし、なんだかつらい。(なんであれ大量の人に詰められている光景は見るのがつらいが)

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2018年3月に観た映画(その1)



リハビリがてら、印象に残った映画の感想を。とりあえずパッと出てくる分だけ。
毎度のことながらネタバレという概念がうまく理解できないので、たぶんしていると思います。


僕の名前はズッキーニ / 不能犯 / 15時17分、パリ行き /
シェイプ・オブ・ウォーター / 聖なる鹿殺し / ゆれる人魚 /

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