びっくりした

生きてたんだ、このブログ。
ここからnoteに移って、noteはいいけど、読まれすぎて嫌だなみたいに思うこともある。Twitterもそうで。最近、人いっぱいいすぎじゃね?みたいになる。

書き方だいぶ変わったのか。この辺はnoteに似てるのかな。でも「続きを読む」のはてな技法とかは変わってないんだね。うける。

このblogを見てる人はいないんだろうなーと思うとホッとしてしまう。

映画は見ているけど、映画感想を取り巻く状況はだいぶ変わったような気がする。

 

某映画雑誌に対しての気持ちは、もうTwitterではけっして吐露できなくなった、気がする。お世話になったことは変わっていないし、今もあの雑誌は私の恩師であることは変わりない。けれどこんな炎上が起きる以前から(たぶんそれこそ映画感想を頻繁に書かなくなったあたりから)秘宝から心は離れていて、それはすごく複雑で入り組んだ感情があった。女をなんとなくノケモノにして成り立っていた空気を、紙面上で特集したりはせずに、今後の記事の中身を読んでくれみたいな方針が、私にはどうにも納得いかなくて、嫌いになったとかじゃない、そういうんじゃないけど、もういいかな~くらいの温度感でそこから少しずつ離れていった。「卒業」って感じだった。ライターの質も変わったし。いちがいに良い悪いじゃなく、とにかく変わった。その変わり方が、私には逐一しっくりこなくて、だから離れた。
そのせいか、今の大騒ぎにさえ違和感がある。「やっぱりね」という気持ちと、その少し前くらいにさっさと逃げ出して口を拭ってる人、覚えてるからな。「昔から嫌だと思っていたんだ」みたいなことを言ってる奴が一番タチ悪いんだよ。このフェイク野郎が。ぜんぜん理解してないくせい理解したみたいにすり寄ってくる奴、急にそういうこと言い始める奴が信用ならない。袂を分かつ、ねえ…へっという意地悪な目で見ている。
私の胸中にある複雑さが他人から理解できないように、あっちはあっちで私に理解できないことがたくさんあるんだろうなと思う。でも、あるライターさんの言わんとしたことを理解せずに燃やすだけ燃やしてる人も変だし、なんにも本当のことなんてわからないのに、「二次加害」とか、なんかそんな言葉ばかりがとびかって、なされた言説の是非も、脇が甘いだけの発言も(人間そんなの当たり前だろレベルの。謝ったら深追いすんなよ)、組織とかの構造のマズさも、権力が起こす暴力も、閉鎖された世界の息苦しさも、もう何もかもごっちゃになってる。ばかみてえ。愛情なんかどこにもねえじゃん。なんだよこれ。
一度でいいから、紙面がちょいちょい小馬鹿にしてくる環境の中で、それでも読者としてついてきて育った女性の映画ファンについて、当時の誌面側にいたひとたちは「本当のところは」どう思ってて、悪いって感じたのか、別にうるせえなって思ってんのか、実はよくわかんねえって思ってるとか、そういうの怒らないから真面目に、正直に話してほしかったなって今も思っている。私は秘宝が女性を馬鹿にする言葉を吐き出したとき、いちいち真面目に傷つきながら、それでも秘宝の映画の話が好きで、バランス取るのすっごい大変だったんだよ。そういう読者がいたことを、あのとき紙面を作っていた人たちは今どういうふうに感じているのか、「素直に」教えてほしい。
でもこんな状況になってはもう絶対に叶わない。一読者(愛読者、といっていいでしょうか、ムックのころからちょこちょこ読んでたし)の愛情と悲しみを、同じ目線で共有して、喧嘩したりもういいよって不貞腐れたりしながら、それでも腹を割って笑えるような紙面がいつか読めるかな、なんて夢想したこともあったけど。
映画秘宝は悪くないなんて絶対言わない。あの雑誌、最悪なところめっちゃあるもん。でも、もう、ぜんぶぐっちゃぐちゃだよ、こんなん。関係ねーやつは口出しすんなよって言ったらダメなんだろうし、まさにその「関係ねーやつは口出しすんなよ」が拗れて今の駄目な状況を作り出した、それはわかってるけど。でもやっぱり、「お前誰だよ」が多すぎる今の状況で、もうぜんぶが雑で大雑把で、いいかわるいかみたいな、本質から遠く離れた場所で決着がついたように見えるんでしょうよ、SNSの上でだけは。それが歴史として残るならマジでクソだし、くだらないしどうでもいい。誰に怒ればいいのかわからんよ。馬鹿みたいに責め立ててる奴らが全員、いつか同じ立場に立たされればいいのにっておもう。これはね、呪詛です。

久しぶりに書いたブログ記事が呪詛だった。私らしくていいんじゃないでしょうか。うける。